――では私、汽車で帰る……だけど私今、お金ちっとも持たないの。イベット、済まないけど今居る安宿の諸払いとマドリッドまでの汽車賃とそれから当座のお小使だけあたしに呉れない。
[#ここで字下げ終わり]
イベットは何にも云わない。殆ど女の方を振り向いて見無かったが、女の言葉が終ると黙って頷《うな》ずいて手鞄を開け、金貨や紙幣を交ぜて女に渡した。女は指に白手袋の吸い付いて居るイベットの手を把《と》り押戴《おしいただ》く様に喜んだ。
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
――有難うよ、イベット。じゃ、あたし仕度出来次第に早く此処を発つ。ね、マドリッドで逢いましょうよ。ね屹度《きっと》。またあたし、あんたの旧の家へ直ぐ訪ねるわ、ね。
[#ここで字下げ終わり]
女は一人で承知してまた馳けるように帰って行った。勿論、あれ程つき纏った小田島が直ぐ眼の前に居ようが女は一瞥《いちべつ》もしなかった。
車を見送ったホテルの使用人達は皆引込んで行った。が、小田島はまだ大円柱の蔭に停んでイベットが残して行った轍《わだち》の跡を明るい軒燈の光で眺めて居た。と、まだ其処に一人の男が居て小田島の傍へ寄って
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