田島には判らない。だがまた斯うして居る時程この娘は美しく見える。イベットはもともと南欧ラテン民族の抜ける様な白い額《ひたい》から頬へかけうっすり素焼の赭土《あかつち》色を帯びた下ぶくれの瓜実顔《うりざねがお》を持つ女なのだが彼女が斯うした無心の態度に入る時には、何とも形容し難い「物」になって仕舞い、自然が与えた美しさだけが、外貌に残る。少し眼尻が下り、媚《こ》びて居るのか嘲《あざけ》って居るのか愁《うれ》えて居るのか判らない大きな眼、丸味を帯びて小さい権威を揮《ふる》って居る鼻、括《くび》れた余りが綻《ほころ》びかけて居る唇。これらがその形のままで空虚になるのだ。そしてこの娘のこの虚脱には何という人を逃さぬ魅力があることだろう。
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――あなた、突然の電報で驚いた?
――別に驚きもし無いがね。だが一たい僕をこんな贅沢《ぜいたく》な処へ呼んで、どうしようって云うんだい。
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彼女は「物」からただの女になりふふんと小狡《こずる》く笑った。それから小海老を手握《てづか》みで喰べて先が独活《うど》の芽のように円くしなう指先をナプキンで拭いた。
まともに押しても決して彼女が素直な返事をしないことを小田島は知り切って居た。と云ってカマをかけて訊《き》くようなえごいことは仕度《した》く無い女だ。小田島は思い切って聞いた。
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――君はこの土地へ、探偵に来たのだろう。
――ふふん、それが何《ど》う仕《し》たというの。
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イベットは少しぎょっとしたが、子供らしくとぼけ、胸を反らして小田島に逆らう様な恰好《かっこう》をした――その時、太陽が直射した。そして額や頬に初秋の海風が一しきり流れると彼女は急に崩折れた。
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――腕を借してよ、小田島。私に縋《すが》らしてよ、こんな商売、私、随分、寂しいのよ。
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イベットは両手で小田島の腕を握り、毛織物を通して感じられる日本人独特の筋肉が円く盛上った上膊に顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》を宛《あて》がった。そして何か強い精気あるものに溶け込み度い思いで一ぱいになって居るように彼女は静に眼を半分閉じるのだった。かもめの落す影が二つ彼女の長い睫を軽く瞬《またた》かせる。
この料理店自慢の鳥に詰物をした料理を給仕男が持って来たが、こういう卓上風景には馴れて居るので音を立てぬようにそっと行って仕舞った。
子供が乳房を吸って仕舞ったあとのようなぽかんとした顔をして、イベットはやがて男の腕から顔を上げた。
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――あなた、カジノの賭博から、フランス政府はいくら取上げるのだと思って?
――知らないね。
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小田島は経済学を専攻して居てもまだ賭博に就《つい》ての研究はしてなかった。
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――カジノでやる賭博で、「シュマン・ド・フェル(賭博の一種)」は五パーセント、カジノでテラ銭を取るのよ。その五パーセントの中からフランス政府は三パーセント取るのよ。それから「バカラ」では親元がはねる手数料三千フランずつに就て政府は六十五パーセントずつ取るのよ。一寸考えても御覧なさい。随分大きいでしょう。
――成程《なるほど》ね。大きいや。
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小田島は驚いた。彼もフランスの財政が賭博税で補われて居る位はうすうす聴いて居た。しかし、それ程一々の賭博から多く取上げて行くことは知らなかった。フランス国内に勢力を持って居る多くの風教団体がフランスの不名誉として賭博税を、また人道の不名誉として賭博場の全廃を、あらゆる精力を費して叫んで来たが一向行われ無い。寧《むし》ろカジノは国内に増すばかりである。「世界大戦後の財政の立直るまで」と云い訳して来た財務当局の口実も意味をなさぬ今日に於《おい》ては、なおその正論を無視してやり続けて居るのも、これ程うまい利益が吸えるからだ。とイベットが少し興奮し乍ら話すのを小田島は熱心に聴いて居た。
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――で、一体フランス政府へは一年に何《ど》のくらい賭博から這入《はい》るのだろう。
――それが簡単に判る位だったら、わたしこんなに苦労はしなかったのよ。なかなか判らないからまたわたしの商売にもなるのよ。
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小田島は彼女の顔をあらためて見た。彼が三年前彼女と巴里の共和祭の踊場で知り合って以来、彼女は随分職業を変えた。ジャン・パトウのマネキン娘。愛犬倶楽部の書記助手。土耳古《トルコ》の金持の妾《めかけ》、
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