の名女優セシル・ソレルだ。六十に近い小皺《こじわ》を品格と雄弁で目立たなくし、三十代の夫と不釣合には見え無い。服装は今の身分伯爵夫人に相応《ふさわ》しい第二帝政時代風のローブ・ド・ステールで絵扇を持って居る。彼女はバアの隅の大テーブルに腰掛けようとして思いがけなく女性に辛辣《しんらつ》な諷刺文学者フェルナンド・ヴァンドレムが居たのを見ると調子よく
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――あたし達はあなたの材料になる為に席を茲《ここ》へ取ったようなものねほほ……。
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 こんな風に場の空気が和《やわら》いで来たにも拘らず酔いにつれて小田島の連れの女は険悪になって行った。女は丁度其処へ来合わせた夜会服の柔和な老人を見ると急に軒昂として眉を釣上げ
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――へん、また一人イベットの御親類筋が来たな。
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 女はその老人の白髭に握み掛ろうとした。
 革命前のロシヤ皇室の探偵隊首領、現ドーヴィル詐欺賭博取締係長の老人はにこにこし乍らその手を捉え、身体を押えてずるずる女を高い椅子から引き降した。鄭寧《ていねい》な中に強い歯止めのかかって居る老人の取扱いに女は暴れても仕方が無かった。
 小田島はいよいよ女から逃げ度くなった。隙をねらって急いで酒場の扉口を出ると女はあたふた追って来た。
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――あたしは、あんたを東洋迄も追馳けるよ。誰がイベットに渡すもんか。
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 賭博場を取巻く角や菱形に区切られた花園は夜露に濡れ、窓から射す燈に照らされ、ゴムを塗った造花の様に煌《きら》ついて居る。その中を歩き乍らいくら小田島が振り除けても女は離れて行こうとし無い。果《はて》は芝生に大の字形に寝て仕舞い、片手を伸ばして彼のズボンの裾をしっかり握って離さない。彼の癇癪《かんしゃく》は遂々爆発した。彼は女を引起すのに残酷とは知り乍ら、多少心得のある柔道の手を用いた。すると女はけろりとして起き上り、今度は彼の肩へ吊り下った。
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――不思議、々々々。もっとやってよ。あたしこんな所痛むの始めて、好い気持ちよ。
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 小田島はしんから困った。疲れて頭がぼんやりして来た。女は女で遂々酔いが極
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