よ。それをあいつ、何時《いつ》の間にか着ちまってる、何という魔ものだ。
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女は口惜しがる度に小田島を強く小突く。彼は暴戻《ぼうれい》な肘《ひじ》で撃《うた》れる度に、何故かイベットの睫の煙る眼ざしを想出す。
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――あんた、後生だから、あの女にだけは惚れないでよ。他の女ならあたし、手伝っても仲をこしらえて上げるから。
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なお女の言うところに依るとイベットはまだ年の割に子供である。その癖甘い毒を持って居て彼女に係わる男を大抵麻痺状態に陥れる。男達も始は玩具のつもりで段々親身になり、何でも彼女の云いなりになる。彼女の我儘には困り切り乍ら結局それを悦《よろこ》ぶようになる。そういう男達は大方老人でなかに若い男があっても矢張り彼女を娘の様に可愛がり出す。女は知名の実業家、政治家をその男達のなかに数え、流石にしまいの声は落して、此処でもドーヴィル市長を始め賭博場の重《おも》な役員、世界の諸国から賭博に来た金持男達まで殆どイベットに籠絡《ろうらく》されて居る、と云う。小田島は聞いて居るうちにそれはイベットのあのあでやかな美貌と時には職業上の政略として用いる例の彼女の可愛いいふてぶてしい技巧で贏《か》ち得た男達であろうと思っては見たが、今の彼にとって余り宜い気持ちは仕無かった。
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――だから、あんた。あんな女にエトランジェのあんたが引かかっちゃいけ無い。私なら、その場限りの女で……
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女は一言も云い逆らわ無い小田島に喋舌《しゃべ》るだけ喋舌って気も晴れたし段々酔いも廻って来たので、今度は酒場に入って来る誰彼と無しに捕えては話し掛けた。
人々の話によると賭博台はいよいよ盛になり、スタンレー賭博団は千フランのテーブルに席を移し、「オープン・バンク」を開始した。この賭博法は千フラン以上どれ程巨額な相手にでも親になり賭を引受ける。この親は少なくとも百万フランはテーブルに置き、尚、二百万フランを控えに持って居る必要がある。昨夜から賭け続けて来た自動車王シトロエンがもう千万フラン近く持ち越したという話はコップを持つ人達の手を控えさせ息を引かせた。その時若い夫を連れて入って来たのは、小田島も幾度か巴里の劇場で見たことのあるフランス
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