》的な線のはっきりした西洋人の顔が多く効果的に写る――ともかく日本の様式建築が、独逸の効果的写真帖の影や深味|迄《まで》を東洋人の感覚で了解し、原型伯林の建築より効果を出している。それが、日本の樹木の優雅なたたずまいや、葉の濃《こまや》かさの裏表に似つかわしく添って建っているのだ。
――何処の国の都会の住宅地でもそうだけど、五万円や八万円かかった住宅はどっさり建ってるでしょう。それでいて門標《もんぴょう》を見れば、何処の誰だか分らない人の名ばかりじゃないの。世の中にお金が無いなんて嘘のような気がするのね。
――………………。
――何故《なぜ》だまって笑ってらっしゃるの。
――だって、君にしちゃあ、よくそんな処《ところ》へ気が付いたもんだ。
四辺《しへん》の空気が、冷え冷えとして来て墓地に近づいた。が、寺は無かった。独立した広い墓地だけに遠慮が無く這入《はい》れた。或《あ》る墓標の傍《そば》には、大株の木蓮《もくれん》が白い律義《りちぎ》な花を盛り上げていた。青苔《あおごけ》が、青粉《あおこ》を敷いたように広い墓地内の地面を落ち付かせていた。さび静まった其《そ》の地上にぱっと目立つかんな[#「かんな」に傍点]やしおらしい夏草を供《そな》えた新古の墓石や墓標が入り交って人々の生前と死後との境に、幾ばくかの主張を見せているようだ。尠《すく》なくともかの女にはそう感じられ、ささやかな竹垣や、厳《いか》めしい石垣、格子《こうし》のカナメ垣の墓囲いも、人間の小さい、いじらしい生前と死後との境を何か意味するように見える。
――生きて居《い》るものに取っては、茲《ここ》が、死人の行った道の入口のような気がして、お墓はやっぱりあった方が宜《よ》いのね。
――そうかな、僕ぁ斯《こ》んなもの面倒くさいな。死んだら灰にして海の上へでも飛行機でばら撒《ま》いてもらった方が気持が好《い》いな。
いつか墓地の奥へ二人は来て居た。
――どれ見せな。
――息子の手紙? 執念深く見度《みた》がるのね。
――お墓の問題よりその方が僕にゃ先きだ。
其処《そこ》に転《ころ》がっている自然石の端《はし》と端へ二人は腰を下ろした。夏の朝の太陽が、意地悪に底冷《そこび》えのする石の肌をほんのりと温《あたた》め和《なご》めていた。二人は安気《あんき》にゆっくり腰を下ろして居《い》られた。うむ、うむ、と逸作は、旨《うま》いものでも喰《た》べる時のような味覚のうなずきを声に立てながら息子の手紙を読んで居る。
――ねえパパ。
――うるさいよ。
――何処《どこ》まで読んだ?
――待て。
――其処《そこ》に、ママの抒情《じょじょう》的世界を描けってところあるでしょう。
――待ち給《たま》え。
逸作は一寸《ちょっと》腕を扼《やく》してかの女を払い退《の》けるようにして読み続けた。
――ねえ、ママの抒情的世界を描きなさいって書いて来てあるでしょう。ねえ、私の抒情的世界って、何なの一《いっ》たい。
――考えて見なさい自分で。
――だってよく判《わか》らない。
――息子はあたま[#「あたま」に傍点]が良いよ。
――じゃ、巴里《パリ》へ訊《き》いてやろうか。
――馬鹿《ばか》言いなさんな、またたしなめられるぞ。
――だって判んないもの。
――つまりさ、君が、日常|嬉《よろこ》んだり、怒ったり、考えたり、悲しんだりすることがあるだろう。その最も君に即《そく》したことを書けって言うんだ。
――私のそんなこと、それ私の抒情的世界って言うの。
――そうさ、何も、具体的に男と女が惚《ほ》れたりはれ[#「はれ」に傍点]たりすることばかりが抒情的じゃないくらい君判んないのかい。息子は頭が良いよ。君の日常の心身のムードに特殊性を認めてそれを抒情的と言ったんだよ、新らしい言い方だよ。
――うむ、そうか。
かの女のぱっちりした眼が生きて、巴里の空を望むような瞳《ひとみ》の作用をした。
――判ってよ、ようく判ってよ。
かの女は腰かけたまま足をぱたぱたさせた。
かの女の小児型の足が二つ毬《まり》のように弾《は》ずんだ。よく見ればそれに大人《おとな》の筋肉の隆起《りゅうき》がいくらかあった。それを地上に落ち付けると赭茶《あかちゃ》の駒下駄《こまげた》の緒《お》の廻《まわ》りだけが括《くび》れて血色を寄せている。その柔《やわら》かい筋肉とは無関係に、角化質《かくかしつ》の堅い爪《つめ》が短かく尖《さき》の丸い稚《おさ》ない指を屈伏《くっぷく》させるように確乎《かっこ》と並んでいる。此奴《こいつ》の強情《ごうじょう》!と、逸作はその爪を眼で圧《おさ》えながら言った。
――それからね。君の強情も。
――あたしの強情も抒情《じょじょう》的のなかに這入《はい》るの。
――そうさ。
――そんな事言えば、いくらだってあるわ。私が他所《よそ》から独《ひと》りで帰って来る――すると時々パパがうちから出迎えてだまって肩を抑《おさ》えて眼をつぶって、そして開《あ》けた時の眼が泣いている。こんなことも?
――うん。
逸作は一寸《ちょっと》面倒らしい顔をした。
――そう、そう、その事ね。私たった一度山路さんとこで話しちゃった。そしたら山路さんも奥さんも不思議そうな顔して、「何故《なぜ》でしょう」って言うの。「大方《おおかた》、独りで出つけない私が、よく車にも轢《ひ》かれず犬にも噛《か》まれず帰って来たって不憫《ふびん》がるのでしょう」って言ったら、物判《ものわか》りの好《よ》い夫婦でしょう。すっかり判ったような顔してらしったわ。「私のこと、対世間的なことになると逸作は何でも危《あぶ》ながります」って私言ったの。こんな事も抒情的なの。
――だろうな。
逸作は自分に関することを、じかに言われるとじきにてれ[#「てれ」に傍点]る男だ。
――序《ついで》に私、山路さんとこでみんな言っちまった。世間で、私のことを「まあ御気丈《おきじょう》な、お独り子を修行《しゅぎょう》の為《ため》とは言え、よくあんな遠方《えんぽう》へ置いてらしった。流石《さすが》にあなた方はお違いですね。判ってらっしゃる」って、世間は単純にそんな褒《ほ》め方ばかりしてます。雑誌などでも私を如何《いか》にも物の判った模範的な母親として有名にしちまいましたが、だが一応はそういうことも本当ですが、その奥にまだまだそれとはまるで違った本当のところがあるのですよ。そんな立ち勝《まさ》った量見《りょうけん》からばかりで、あの子を巴里《パリ》へ置いときませんって、――巴里は私達親子三人の恋人です。三人が三人、巴里《パリ》に居《い》るわけに行きませんから、せめて息子だけ、巴里って恋人に添わせて置くのを心遣《こころや》りに、私達は日本って母国へ帰って来ましたの。何も息子を偉《えら》くしようとか、世間へ出そうとか、そんな欲でやっとくんでもありません。言わば息子をあすこに置いとくことは、息子に離れてる辛《つら》い気持ちとやりとりの私達の命がけの贅沢《ぜいたく》なんですよ。…………てね。
かの女は自分がそう言って居るうちに、それを自分に言ってきかせて居るような気持《きもち》になってしまった。
――ねえパパ、こんな処《ところ》へ朝っから来て、こんなこと言ったりしてることも私の抒情《じょじょう》的世界ってことになるんでしょうね。
――ああ、当分、君の抒情的世界の探索《たんさく》で賑《にぎや》かなことだろうよ。
逸作は、息子の手紙を畳《たた》んだりほぐしたりしながら比較的実際的な眼付きを足下《あしもと》の一処《ひとところ》へ寄せて居た。逸作は息子に次に送る可《か》なりの費用の胸算用《むなざんよう》をして居るのであろう。逸作の手の端《はし》ではじけている息子の手紙のドームという仏蘭西《フランス》文字の刷《す》ってあるレターペーパーをかの女はちらと眼にすると、それがモンパルナッスの大きなキャフェで、其処《そこ》に息子と仲好《なかよ》しの女達も沢山《たくさん》居て、かの女もその女達が可愛《かわい》くて暇《ひま》さえあれば出掛《でか》けて行って紙つぶてを投げ合って遊んだことを懐しく想い出した。
逸作が暫《しばら》く取り合わないので、かの女も自然自分自身の思考に這入《はい》って行った。
暫くしてかの女が、空に浮く白雲《しらくも》の一群に眼をあげた時に、かの女は涙ぐんで居《い》た。かの女は逸作と息子との領土を持ち乍《なが》らやっぱりまだ不平があった。世の中にもかの女自身にも。かの女はかの女の強情《ごうじょう》をも、傲慢《ごうまん》をも、潔癖《けっぺき》をも持て剰《あま》して居た。そのくせ、かの女は、かの女の強情やそれらを助長《じょちょう》さすのは、世の中なのだとさえ思って居る。
人懐《ひとなつ》かしがりのかの女を無条件に嬉《よろこ》ばせ、その尊厳《そんげん》か、怜悧《れいり》か、豪華か、素朴か、誠実か、何でも宜《よ》い素晴らしくそしてしみじみと本質的なものに屈伏《くっぷく》させられるような領土をかの女は世の中の方にもまだ欲しい。かの女はそういうものが稀《まれ》にはかの女の遠方《えんぽう》に在《あ》るのを感じる。然《しか》し遠いものは遠いものとして遥《はる》かに尊敬の念を送って居たい。わざわざ出かけて行って其処《そこ》にふみ入ったり、附《つ》きまつわったりするのは悪《あく》どくて嫌だ。かの女はそんな空想や逡巡《しゅんじゅん》の中に閉じこもって居る為《ため》に、かの女に近い外界からだんだんだん遠ざかってしまった。かの女は閑寂《かんじゃく》な山中のような生活を都会のなかに送って居るのだ。それが、今のところかの女に適していると承知《しょうち》して居る。だが、かの女はそれがまた寂しいのだ。自分の意地や好みを立てて、その上、寂しがるのは贅沢《ぜいたく》と知りつつ時々涙が出るのだった。
まだその日の疲れの染《にじ》まない朝の鳥が、二つ三つ眼界を横切った。翼《つばさ》をきりりと立てた新鮮な飛鳥《ひちょう》の姿に、今までのかの女の思念《しねん》は断《た》たれた。かの女は飛び去る鳥に眼を移した。鳥はまたたく間に、かの女の視線を蹴《け》って近くの小森に隠れて行った。残されたかの女の視線は、墓地に隣接するS病院の焼跡《やけあと》に落ちた。十年も前の焼跡だ。焼木杭《やけぼっくい》や焼灰等は塵《ちり》程も残っていない。赤土《あかつち》の乾きが眼にも止まらぬ無数の小さな球となって放心《ほうしん》したような広い地盤《じばん》上の層をなしている。一隅《いちぐう》に夏草の葉が光って逞《たく》ましく生えている。その叢《くさむら》を根にして洞窟《どうくつ》の残片《ざんぺん》のように遺《のこ》っている焼け落ちた建物の一角がある。それは空中を鍵形《かぎがた》に区切り、刃《やいば》型に刺し、その区切りの中間から見透《みとお》す空の色を一種の魔性《ましょう》に見せながら、その性全体に於《おい》ては茫漠《ぼうばく》とした虚無を示して十年の変遷《へんせん》のうちに根気《こんき》よく立っている。かの女は伊太利《イタリア》の旅で見た羅馬《ローマ》の丘上のネロ皇帝宮殿の廃墟《はいきょ》を思い出した。恐らく日本の廃園《はいえん》に斯《こ》うまで彼処《あそこ》に似た処《ところ》は他には無かろう。
廃墟は廃墟としての命もちつゝ羅馬市の空に聳《そび》えてとこしへなるべし。
かの女は自分が彼処《あそこ》をうたった歌を思い出して居《い》た。
と、何処《どこ》か見当の付かぬ処で、大きなおなら[#「おなら」に傍点]の音がした。かの女の引締《ひきし》まって居た気持を、急に飄々《ひょうひょう》とさせるような空漠《くうばく》とした音であった。
――パパ、聞こえた?
逸作とかの女は不意に笑った顔を見合わせて居たのだ。
――墓地のなかね。
――うん。
逸作はあたりまえだと言う顔に戻って居る。
――墓地のなかでおなら[#「おなら」に傍点]する人、どう思うの。
かの女は逸作
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