かぎょう》から預けられた土塊《つちくれ》や石柱を抱《かか》え、それが彼等《かれら》の眼の中に一《いっ》ぱいつまっているのだ。その眼がたまたまぬすみ視した処《ところ》が、それは別に意味も無い傍見《わきみ》に過ぎないと、かの女は結論をひとりでつける。そして思いやり深くその労役《ろうえき》の彼等を、あべこべに此方《こちら》から見返えすのであった。
 陽気で無邪気なかの女はまた、恐ろしく思索《しさく》好きだ。思索が遠い天心《てんしん》か、地軸にかかっている時もあり、優生学《ゆうせいがく》や、死後の問題でもあり、因果律《いんがりつ》や自己の運命観にもいつかつながる。喰《た》べ度《た》いものや好《よ》い着物についてもいつか考え込んで居《い》る。だが、直《す》ぐ気が変《かわ》って眼の前の売地の札《ふだ》の前に立ちどまって自分の僅《わず》かな貯金と較《くら》べて価格を考えても見たりする。
 かの女は今、自分の住宅の為《ため》にさして新《あた》らしい欲望を持って居ないのを逸作はよく知って居る。かの女が仮想《かそう》に楽しむ――巴里《パリ》に居る独《ひとり》息子が帰ったら、此《こ》の辺《あたり》へ家を建てて遣《や》ろうか、若《も》しくはいっかな帰ろうとしない息子にあんな家、斯《こ》んな家でも建てて置いたら、そんな興味が両親への愛着にも交《まじ》り、息子は巴里から帰りはしないか。あちらで相当な位置も得、どう考えてもあちら[#「あちら」に傍点]に向いて居る息子の芸術の性質を考えるとこちらへ帰って来るようには言えない。またかの女の芸術的良心というようなものが、それは息子の芸術へというばかりでないもっと根本の芸術の神様に対する冒涜《ぼうとく》をさえ感ずる。芸術的良心と、私的本能愛との戦いにかの女はまた辛《つら》くて涙が眼に滲《にじ》む。息子の居ない一ヶ所|空《から》っぽうのような現実の生活と、息子の帰って来た生活のいろいろな張り合いのある仮想生活とがかの女の心に代《かわ》る代《がわ》る位置を占めるのである。かの女は雑草が好きだ。此の空地《あきち》にはふんだんに雑草が茂っている。なんぼ息子の為に建ててやる画室でも、かの女の好みの雑草は取ってしまうまい。人は何故《なぜ》に雑草と庭樹《にわき》とを区別する権利があったのだろう。例えば天上の星のように、瑠璃《るり》を点ずる露草《つゆくさ》や、金銀の色糸
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