のは山の臺上《だいうへ》にも臺下《だいした》にも見えず、ただその上下《うへした》の所々に散點する森や林やの黒い影をうしろに透《す》かして、霧のやうなものが薄《うつ》すり棚曳いてゐるのが、望まれるだけであつた。

 二十年まへわたしの眼界から消えてしまつた生れ故郷の城下町弘前は、この山裾の隅にあるのだと思ふと、前方から吹雪まじりに吹きつけてくる痛い空氣以上に、何かまた別な空氣がこの景色の土地一杯にひろがつて、それがわたしの肺にも這入れば眼にも沁みるやうに思はれ、異常に引きしまつた心持になるのであつたが、山裾のあひだに小さくても、人家の屋根のぎつしり並んだ都會の眺望を當てにしてゐたのに、密雲のもとに反射する光も艶もない雪の山と平野との無人境同樣の景色を見れば、「こんな處で何處に人間が住んでゐるのだらう」と憮然とならざるを得なかつた。

 密雲のもとの山脈は灰色のテーブルクロースを不行儀に、平べたく折り重ねて行つたやうに、平原の片側を轉回《のたうつ》てゐる。そのところどころに例の霧がうつすり地の上を這つてゐる。これは然し霧ではないんだらう。今わたしの頬邊《ほつぺた》を吹きつけてゐる目にも見え
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