とそれこそ聲を長々と引つ張つて、號泣するやうに唄つた一と文句である。
わたしは山間の坂みちから、木の茂みや、屋根で重なりあつた谿底の村が眼に浮んだ。そこには胡桃の大木が、田舍びた滿枝の花を見せて咲きさかつてゐた。
ながく咲くのは胡桃の花よ
純朴な田舍人《ゐなかびと》の見つけた感動すべき風景畫である。
[#ここから1字下げ]
註一。ボサマは坊樣《バウサマ》で、盲人の男女の唄うたひ、此の地方から北海道までも逍つて歩く。唄はジヨンカラ節、ヨサレ節なぞといふ津輕民謠で、この胡桃の唄も或るジヨンカラ節の一句である。
[#ここで字下げ終わり]
早春の花
融雪期が進行していつて其の遠い果てが海まで續くひろびろとした津輕平野で、去年の枯草と今年の新らしい黒い土とが春の日光を浴びる時、またこの平野を圍む山腹のそちこちの澤や、谷が薄い靄を棚引かせて、その奧に山肌の荒い襞《ひだ》を藍色におぼめかせるとき、わが郷土の農村の空はコブシの花で飾られる。
コブシはこの地方では普通|田打櫻《たうちざくら》と言ひならして居る。丁度この花の咲くあたりから、百姓は烈しく働き出し、岩木川沿岸のひろびろと
前へ
次へ
全43ページ中26ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
福士 幸次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング