車がそろそろ當てにならなくなるのである。
待合室はどこも皆一杯なので、入り口のところに妻や子供を待たせて置いて、出札口に立つてゐる驛員のところへ行つて、發車の時間を訊く。驛員はこの地方の言葉を丸出しにして、五時何分でなければ貴方の所要の接續の汽車が出ないといふ。ここから他に支線で出る汽車もある筈だから、も少し都合よい時間がないかと更に訊きただすと、わたしにも聞きわけられない訛りのある言葉で説明して、結局要領を得ない。この待合室に一杯詰つてゐる人々も、今皆わたしと同じ運命にあつてそれが同じ事ばかり訊くので、驛員も氣が苛々《いらいら》してゐるのらしい。しかしそれは兎に角わたしが郷里の人間の丸出しの言葉を聞いたのは、この驛員が殆ど最初であると言つてよかつた。それはこの郷里の大地から直《ぢ》かに湧いてくるやうに、生き生きわたしの鼓膜を刺※[#「卓+戈」、256−下−17]した。わたしは微笑して引きさがり、雜沓のなかを掻きわけて妻のゐる方に戻つた。
妻は座席を讓られたと見えて、二等室入口眞近の昏《ほのぐら》いベンチに、小さい子を背負つた儘腰かけてゐた。
「どうしたの」
「駄目だ。二時間も待たなくちやならん」
「困りますネ」
「うん、弱つた」
私は長靴の兩脚を、雪融けの水でぬかるみ[#「ぬかるみ」に傍点]になつてゐる叩きに踏ん張つて、これからの善後策に就き妻と話をしたが、それが濟むと身を轉じて待合室の中央に向きをかへ、わたし等を取卷いてゐる群集を見まもつた。
一種異樣な風采の群集である。其の喚《わめ》いてゐるものは何も彼も騷音で這入つて來るが、中ではつきり聞きとれるものは、今しがた、出札口の驛員から聞いたと同じく、この大地から湧いて躍り出たとしか思はれない言葉である。
待合室は雪構ひで外部を覆はれてゐる上に、電氣も未だつかないので、薄暗く、群集はただ黒く渦卷いてゐるやうに見えて居り、その中から一切の騷音が割れかへるやうに溢れてゐる。マントは大頭巾が着いたのを着てゐる。頭には風呂敷を三角に折つた冠り物をしてゐる。こんな冠り物をしてゐるのは、大抵百姓女である。見榮も恰好もなく着るによいだけ厚着をして、どれも皆元氣よく野獸のやうに強い響きをもつた、しかし其のなかに異樣なくらゐ可憐《いぢ》らしさの籠つた言葉でもつて、大聲に喚き合はしてゐる。
わたしの故郷の人はどんな人でも話好きだし又上手である。しかし二十年目でこの話の渦卷きに飛びこんだわたしには、あの車中から見た無人境の景色同樣、「おれはお前の父親同然のもので、父親よりも又お前に縁故の深いものだ」と、わけも解らず強く名乘り出されてゐるやうな氣がした。他郷の環境での二十年間にわたる生活は、わたしの眼と耳とを自分の思つてゐた以上に遠く、全然別に育ててくれたのである。
わたしも他郷へなんぞ行かずに、この土地に居切《ゐき》りで今になるまで育つたら、彼等と同じ言葉を使ひ、同じ表情をし、同じ動作をして夢中に話しあつてゐるのだらう。それが今無理にやると、役者のするやうに空虚な眞似事をするに過ぎなくなる。環境には目に見えない魂があつて、それがその環境の人間のする如何《どん》なものにも現はれてゐるといひ、これを離れると個人はその生活の活力を失ふと、地方主義者のマウリス・バレエスはいふ。
長女を連れて停車場の雪構ひした入口をぬけて、田圃向うの市街を一瞥したり、賣店に行つてキヤラメルや繪本をひろ子に買つてやつたりして、また妻のまへに立つてゐると、すぐ傍の二等室のストーヴに當つてゐた人だかりの中で、いかにも傍若無人のさまで足駄穿きの足をこのストーヴに突き出してゐた男が、のそのそ[#「のそのそ」に傍点]わたしの方にやつて來た。四十近い年配で、黒のインバネスを着てゐた、目をシヨボシヨボ斜視《すがめ》のやうにつかふ癖のある、童顏の大きな男であつた。
「君はX――君ぢやありませんか」とおづおづした聲で訊く。
わたしは弘前へは出直してくるつもりだつたが、早くも見つかつたかと「さすつたナ」といふ氣で、相手をぢつと見た。
「ああさうです。君は?」
「うむ矢張りさうか」と如何にも人が好ささうに笑ひ出して、その特徴のある眼をなほ近づけ、言葉も俄かに土地の言葉になほした。
「忘れダガ。W――だ。W――……」
忘れダガといふのは、忘れたかと云ふ事である。津輕地方語には濁音が多い。
「あつ、W君、青森の?」
「うん」
わたしは硬《こは》ばつた心が急に融ける思ひがして、同じくらゐ背《せい》の高い相手の顏に、感動の眼を見張つた。彼が大學生時代に東京で別れて以來十七八年になるが、よく見誤らずに見當てたものだと驚嘆した。わたしは人並よりは大分背の高い方である。彼もわたしに負けぬくらゐ高い。
「君の評判はよく聞いてゐる。あん
前へ
次へ
全11ページ中5ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
福士 幸次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング