長女をやつこらさ[#「やつこらさ」に傍点]と抱きあげた。
「貴方寒いでせう」
「なあに寒けりや直ぐ厭だといふさ」
わたしは少し自棄糞《やけくそ》に子を抱きあげて窓外の風に向け、その小さい頭を出してやつた。
汽車は川べりの勾配を走つてゐて、わたし等の視界に玩具《おもちや》のやうに小さく現れた先頭の機關車が、その灰色と鼠色とで塗りつぶされた無人境の平野を、ただ一人の生き物かのやうに白い綿毛の煙りを噴いて走つてゐる。川は雪のなかから黒い斷崖《きりぎし》と、一面に皺ばんだ鉛色の流れを見せたが、間もなく雪の畠地に隱れてしまつた。骸骨の樣な橋も黒々と長く見えてゐたが、斜めに見えてゐたものが眞正面に展いて見えたかと思ふと、またするすると斜めに走つて、雪のなかに攫《さら》はれるやうに見えなくなつてしまふ。
「どうだ、えらい處だらう。人つ子一人ゐないんだぞ」とわたしは長女の顏をのぞき込んだ。彼女もこの寂しさと荒さを極めた自然の威力に打たれたか、風上《かざかみ》に顏を向けて、べそ掻くやうな表情をしてゐたが、喰《く》ひつくやうになほも列車の前方を見まもつてゐる。十五年餘り故郷を離れて暮らしてそのうちこの子供が生れたので、わたしは故郷の市《まち》を偲んでその頭の文字一字をとつて、「弘子《ひろこ》」と命名した。
これぐらゐわたしの心を永いあひだ離れられなかつた故郷に、今、記念品の娘まで指し向けて會合するといふのに、無愛嬌《ぶあいけう》な、見るから寒氣《さむけ》だつてくる無人境の風景畫を遠慮も會釋もなくおし擴げたのである! わたしは見も知りもせぬ人間が嚴《きび》しい顏をして、「わたしはお前の父親のやうなもので、お前の産みの父親よりもつと縁の深いものだ。どうだ、わたしの風體《ふうてい》は」といふやうな者に出會《でつくは》した氣がする。
「ひろ子、あれを御覽。ほらお山だよ、お山」とわたしは長女に鼠色の岩木山を指さした。
※[#ローマ数字2、1−13−22]
故郷の弘前市に着いたのは、これがさうかしらんと遠くから眺めてゐた大村落を通過して、また一と渡り雪の平野の一角を突つ切つてからのことであつた。尤も大村落と言つても雪の水田中に裸な立ち木の林と一緒に群がつた不樣な農家の長いわびしい繋がりで、停車場をのぞいては村のとつつきで四五臺の馬橇《ばそり》の列が、馬子《まご》がてんで[#「てんで」に傍点]に積み上げた荷のうへに乘つかつて、村を離れて行くのが小さく見えたきりで、つひぞ人影らしいものはこの外見當らなかつた。
弘前市もこれと大同小異で大村落を出てから漸く向うの山裾に見えはじめた屋根屋根の乏しい積み重なりが、わたしの氣分をなほなほ沈ませた。流石に停車場は地方での大驛なので、着車したときはこの汽車を利用して更に今一時間ばかり先きの距離の青森市に北行する乘客が、廣いプラツトフォームに溢れてゐた。雪はここでちらちら降りはじめた。
わたし共は故郷の弘前へ來ても、ここから更に汽車を乘り替へて三里ばかり眞北《まきた》の友人の町に行くため、弘前驛で次ぎの汽車を待たねばならない。改札口を出て雪構《ゆきがこ》ひした通路を二た曲りばかり折れて、停車場の正面の入口に出る。雪構ひは地面から建物の廂まで丸太を組んで、これに菰を張つたものである。わたしはこれが故郷の町に來た正しい證據ででもあるかのやうに、立ちどまつてその高いてつ邊まで目をやつた。
雪構ひの曲り角の所は外に出る通路になつてゐた。わたし等が其處を通つた時には、ボロ洋服の上に、犬の毛皮のチヤンチヤンコを着、汚れたコサツク帽をかぶつた逞しい男が、ラツパを持つてせかせか足踏みしてゐた。
市内へゆく乘合の馬橇の馭者であらう。
「だいぶ待たなくちやならないんだネ。」
とわたしは妻にいふ。
「どうして」
「だつて僕等の今の汽車が一時間ばかり延着したらう」
「ええ」
「赤帽に訊くと、そんな事で、此處の發車時間がすつかりゴチヤゴチヤになつたんださうだよ」
「へえ、さう」
と妻は淋しさうに目をパチクリさせてゐる。
今朝がた羽前と羽後の山間でわたし等の汽車は、大雪のため永いこと停車した。冬季休暇で歸郷する學生達は氣輕に車外に飛びだして、忽ちそこで雪達磨をこしらへた。乘合はした水兵の一團もこれに對抗して、同じやうな奴をこしらへた。そして卷莨《まきたばこ》をくはへさせたり、新聞を持たせたりした。あの停車は四十分あまりもあつたらう。
「困るわね。それではK――さんの家には何時頃着くことになるでせう」
K――さんとは之れから別の汽車に乘替へてわたし等の訪ねてゆくことになつてゐる友人の名である。
「驛員に訊いて見るから、兎に角待合室のなかに這入らう」
急行列車は大丈夫と思つてゐるのに、奧羽線では、今頃から急行列
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