かはら》を過る時
嵐《あらし》のやうに渦卷《うづま》いた生涯《しやうがい》を
冷い眼《まなこ》で射返《いかへ》す――吾等!
『鴉《からす》』が翼を慄《ふるは》した Never more は
石に滲《にじ》む冬の日の涙
君の苦熱《くねつ》におくれた吾等は
晴れた雪を渡る風の音!

………………………
……空《むな》しく吾等は凍《こほ》り果て、た!

この慄《ふる》ひ動く唇《くちびる》から――
「ピストルで
此の腦髓《なうずゐ》を貫《つらぬ》いてくれ」
と言つた君の最後の詩《うた》を
封《ふう》ずる事を……

 記憶と沈默

[#天から4字下げ]おお神よ、汝は吾が愛を傷つけたまへり
[#地から2字上げ]ポオル・ヴエルレエヌ『智慧』

[#地から2字上げ]明治四十三年作

  南の海岸 ――一月

日向《ひなた》をふみ、蝋色の花をふみ

砂丘《さきう》
緑の海
みだれゆく日光の音の上を……
とろけて眼をつぶる
(光と、波の……)
もやもやとして白い
帆船《ほぶね》と海鳥《かいてう》
……………
搖れる光に波は織られ
線は重さなり、流れ、くづれあひ
(濃厚な光と、波の……)

浮び出てはおぼれながら暑い色を抹《なす》り[#「抹《なす》り」は底本では「※[#「てへん+未」、214−下−21]《なす》り」]
水平に流れ動く日光のあぶら
(發情期のあまあましいたはむれを――)
水は岩に胸打ち
のびちぢむ海藻《かいさう》――
(光と波の舐《な》めづりあひ、とろけあふ……)

岸にうちあげられた海藻
(日の熱にゆらゆらと
ひそんだ焔に
燃えるまに、ゆらゆらと燃えるまに!)
唸《うな》りめぐる臭氣《しうき》
ねばねばしい蠅のむらがりよ!

(岩を浸し、砂地にふくれる
濃厚な光と、波の……)
あどけない欲望は重なりあひ
くづれあふ――南の海岸

  記憶 ――一月

軒ランプもつかない場末の町を
暗い心で歩む……

片隅から――
かげのひかりは奧に浮き
暮れてゆく小川には家々のうごかない薄暗《うすやみ》

ところどころに橋があり
落葉した並木の
一列にかさなりつゞく梢
老い朽ちたやうな嘆息《ためいき》の消えがたく
暗い心でただ歩む……

  忙しい沈默 ――四月

混雜《こんざつ》した温かい日光《につくわう》
甃石《しきいし》の上に息《いき》吹《ふ》く
花粉のやうな塵埃《ぢんあい》の中
沈默した通行人は忙がしく
そして熱してすれ違ふ

窓から花のかざりがさがり
甃石の上をふむ群集の赤い影
褪色《たいしよく》したしかし芳《かんば》しい午前《ひるまへ》の香ひが
樺色のケツトのやうな刺激をつゝむ

折々電車の響はおどかして過ぎ去り
温く乾いた灰色の窓々は
音ある方に一心に瞳をあつめる

群集は舞踏でもする樣な足取《あしど》りで
赤く汗ばんだ顏をして
日向《ひなた》と日陰《ひかげ》をみだれ歩く

しかし弱々《よわよわ》しく晴れて
塵埃《ぢんあい》の多い空
いろいろな群集の帽子にこみあつて
温い刺激がふくれる

  薄白いともしび ――八月十日

蝋燭をとぼしなさい
ふかい影が落つる
焔《ほのほ》の下に
その私の指にふれてゆく
壁の下に
か弱い幻影《まぼろし》が眠つてゐる
私はあの日から室内を歩み
たどたどしい思ひを讀みながら
暗い廊下を眠りながらゆく

その眠りになやましい
指のあと
虚《うつろ》な窓に吸はれてゆく
一と時の薄白さ

  冬 ――九月二十五日

かざりない生活の
町の街燈《がいとう》――
微笑しながら涙をふいて町の街燈
降りそそぐ柳の霙《みぞれ》は
絶間《たえま》なく甃石《しきいし》に咳《しはぶ》けり

行交《ゆきか》ふ人影は下に降《ふ》りこめられて
暮れてゆく一と筋の水のひかり
とある街燈の油壺《あぶらつぼ》には灰色な波の
薄明かり……

斯うしてつぶやく夜《よる》が來た
薄ら寒い壁の感觸《てざはり》に
油の焔は河口《かはぐち》のガス燈のやうに

降りそそぐ柳の霙は
河口の波にふるへる
薄ガラスの家守《やもり》の腹は
銀の陰影《いんえい》に吸ひついてゐる

  安息日の晩れがた ――十一月十八日

古い蝋《らふ》の火のくすぼるるかなしさ
あはれ、あはれ尼達《あまたち》の合唱《コーラス》のかなしさ
安息日《あんそくじつ》の晩《く》れ方《がた》に薄ぐろい銀の錆《さび》をしみじみと
泣いてすぎゆく鐘の音《ね》
雪降りの窓のたよりない薄明り

過ぎた日の思ひ出には火を灯《とも》し
暴風が梢《しん》をわたる森の胸をひらき
懴悔《ざんげ》の鳩尾《みぞおち》に涙をとかして
この葬禮《さうれい》の夜を過《すご》させたまへ

鐘は風と一緒に鳴り、薄明りの窓のほとり
暮れよ、暮れよと尼達の暗い森の合唱《コーラス》

  娼女 ――十一月十八日

千夜萬夜《
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