太陽の子
福士幸次郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)破綻《はたん》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)其|後《あと》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「卓+戈」、211−中−4]

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔apre`s〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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   明治四十二年――大正二年
[#地から2字上げ]製作の時期

   兄と母に
     此の作集を獻ずる

  自序

 今この詩集を出版するに就いて自分は何にも言はないで出すに忍びない氣がする。何ぜなら此の詩にある心持の凡ては悉く嘗て自分の全生命を盡くして踏んで來た片身だからだ。一歩進めて言へば自分の詩集に自分の序を附けると言ふことは、その制作品の足りない所を補足するやうなものでをこがましい氣がするが、自分の生活は此等の詩と一々ついて離れず進んで來たものであるから、今として見ればその時々の自分の心理に立入つて考へることが出來、又その心理全體を突き貫く自分の心の祕奧、即ち自分の生れると共に持つて來た生の欲求も明示することが出來る。自分は今此の詩全體を生ませるに至つた自分の此の潜流を此の序文であらはにしようと思ふ。
 一體自分は二十一の年初めて詩を書いた。それが此の詩集の初めにある『白の微動』である。尤もその前に四五回子供の時から書いたことはあるが格別書きたいと思ふやうな事はなく、寧ろ書きたいとすれば自分の頭は小説に傾いてゐた。それが卒然として或る刺※[#「卓+戈」、211−中−4]から詩を書き初めた。或る刺※[#「卓+戈」、211−中−5]とは當時日本の詩壇に起つた自由詩の運動とそれに連れて現はれた多くの諸君の作品である。特にその中でも自由詩社のパンフレツトに出てゐる福田君の『ツワイライト』三富君の詩幾篇かは僕の今迄眠り潜んで居た魂を前者は猛然と喚び醒まし、後者は底の知れない憂鬱へ驅り込んだ。自分は數ヶ月來その讀んだ印象が離れなかつた。寢ても起きても人に逢つても往來端を歩いてもその詩の暗い興奮、冷却した情熱は自分を虜にした。斯くしてその夏三つ詩を書き、それから自分の生涯の最初の破綻《はたん》の起つたその年の末(明治四十二年)この『錘[#「錘」は太字]』に出て居る詩五篇を一度に書いた。自分は今それを自分の處女作とする。自分の一生の動搖と伴つて起つた最初の靈魂の叫び、最初の靈魂の呻きだからである。即ち自分はその年『全世界を失つて自己の靈魂を得た』。けれども自分の靈魂なるものは自分にとつて解くことの出來ない謎であつた。自分はその謎の吾が心を搾木《しめぎ》に掛ける苦痛に堪へなかつた。『錘』と言ひ『ポオに獻ず』と言ひ『窓から』と言ひ『白の微動』『落葉』と言ひ、乃至は翌年(明治四十三年)の『冬』と言ひ『安息日の晩れがた』と言ひ『記憶』と言ひ又翌々年(明治四十五年――大正元年)の『心』と一緒に纒められた過半の作『智慧の實を食べてより』『洪水前の夜のレヴエレイ』等の凡てと言ひ悉くその心の謎の解け難い苦痛から出てゐる。
 自分はそれから此の人生を凝視した。あらゆる此の人生の中に生きてゐる人間の奧底のみじめさに涙流した。そして鳴けない日陰の鳥となつて樹の中に羽打《はばた》いた。斯くして『記憶と沈默[#「記憶と沈默」は太字]』の年は過ぎた。それから何にものも書かないその翌年(明治四十四年)も過ぎた。自分は藝術を棄て友達を棄て家を棄て吾を愛するすべての人を棄てた。或る時は自分の一生をも埋沒しようとした。或る時は見知らぬ人の中に這入つて算盤を彈き、スコツプを握り、生きるか死ぬかの瀬戸際を渡りもした。しかしそれ等の中には自分の眞に求めるものは無くて自分の瀕死の病氣を得たばかりである。自分は絶望した。人生は死以外に何の目的も希望も無いのを信じた。しかも死にたくなかつた。自分は涙流して今一度生きてこの人生を見直したかつた。
 ああ自分は後悔しても後悔しても後悔し盡くされぬ過去がある。吾が愛する姉と伯母は其間に死に、死ぬべき筈であつた吾は今猶ほ生きて居る。自分の究極の嘆きは此處にある。愛さるるものは愛するものを殘して死んでゆく。彼等の生《せい》に戀々とした樣は其|後《あと》のものにとつてどれ位堪へ難いか、自分は彼等が殘した生の苦痛を引受けて吾が生の負擔はそれで自乘される。自分は喘いだ。じれた。そして或る時は吾が生はすつかり沮喪して一夜の内に死んだ父、姉、其他今一人の死者を一度に夢見たことがある。そして
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