夜中に目が醒めて自分は覺えず戰慄した。吾が生は依然として矢張進むべき針路が見つからない。自分は暗黒のどん底に墜ち、夢の中に死と遭遇した。斯くして自殺の考へが又起つたけれども死ねなかつた。自分は人生は如何に苦しくてもみじめでもその將來のよくなることをその前年からその前年、その前時代からさらにその前の時代と推して考へずには居られなかつた。その太極はどうでもあれ確にその事實はさうだ。自分は如何に苦しくてもその人生を見殘して死にたくない。今死ねば暗《やみ》から暗である。自分はその暗《くら》さには堪へられない。
 一體自分は子供の時から考へて見ても性來明るいぼつとした子供である。過去四年間の『錘[#「錘」は太字]』以來の詩にも屡※[#二の字点、1−2−22]その厭世的な陰鬱な心持の中から吾れ知らず迸つて來るのは何等|燻《くす》んだ色のない都會を歌つた詩、海を歌つた詩にある快活な樂天的なリズムである。けれども自分の心は一切喜びを封ぜられた。人生に生きるべき意義を失ひ、一切に絶望し一切を虚無《ニヒル》と見流し、既に詩作さへ無意味だと感じて居たのだけれどもその心を裏切る生《せい》の未練が死を戀うて蟲けらのやうに生きる『墓標』を書き、食慾より以外何ものもない人生を嘆いた『フアンタジア』『鍛冶屋のぽかんさん』を書き、暗《やみ》のおびえの『扇を持てる孤兒《みなしご》の娘』青春の衰へを星雲《せいうん》の中に齒がみして死ぬ生き埋めの如き自分の『一生』を書いて殆んど再び行き詰りの絶頂に達《とど》いた自分は突如として生の勢のよい『發生』を感じた。自分は生きる。發育する。今までのあらゆるものを突き放して新しい世界へ思ひ切つて飛び込む。自分の今までは死の世界であつて生きる爲めに目を開いた世界でない。生きる爲めに力を出した世界でない。自分は第一自分の肉體といふものを少しも愛したことはない。これを殺さうと思つても生かさうとして努めた世界でない。實に此の人生に自分が生れたといふことも容易ならない事件でないか。此の死の世界の中に自分がそもそも産聲《うぶごゑ》を擧げたといふのも實に強い聲ではなかつたか。この世界の中に新しい一つの存在、無くてかなはぬ一つの存在を與へたのでなかつたか。ああその自分を吾れから殺さうとしたものよ。新しく發生せよ。
 斯くして自分の世界を觀る目は一變した。見る見る自分の心は霜枯の草が春の日に逢つて一度に伸び出したやうに今迄に知らない世界を憧れ出し、それに向つて伸び出した。そしてたまらなくなつて聲を擧げた。これこそ誕生の聲である。産聲である。唖の子がものを言ひ出すお伽話にあるやうな奇蹟的出來事は斯して自分の一生の半途に起つた。
 實に奇蹟である。生の不思議である。計り知れない吾が力は俄に目を醒まして、見慣れぬ地、見慣れぬ空、見慣れぬ人間に心が驚異した。そして今迄縮み跼《かが》んでゐた力が一齊に地下上天、周圍に對して目ざましい程ずんずん伸び出した。自分は新しく生きる。新しく育つ。今迄のあらゆる過去を肥料にして新しい生の芽生えにいみじい愛を感ずる。自分は感謝した。自分の微妙な力を感謝した。その感謝の心は『日の子』を書いて自分を彼れの愛《いと》し子、隱し子であると言つた時吾が心は言ひ知れぬ歡びに溢れてしまつた。ああ自分は何にものよりも光を愛す。光明の世界こそ吾が行く世界である。自分は涙流しながらもそれを追うて止まないだらう。永遠に追うて止まないだらう。
 それからの自分は大洋の浪のやうに底を潜り、水面に浮び、底を潜り水面に浮びして遙かな岸を目掛けて進んだ。『發生』は自分にとつて稀有な吾が心の發火であつたけれども、これが吾が心の全面に動いたものでない事は、その時それとはまるで違つた『冬の日暮』や『遠い故郷』などといふ作が吾れ知らず混じて出たのでも解る。その『發生』の迸發的な歡びは『すべての友達に送る手紙』を最初のものとして一切の因襲關係、一切の古い自己を燒亡ぼす情熱となつて、今迄の自分や今迄の周圍關係を攻撃、破壞、顛覆する役目に當つた。
 斯して鬪ひの上に更に鬪ひ、鬪ひの上に更に鬪ひをして、吾が心は倦《あぐ》ね果てるまで健鬪した。『太陽崇拜[#「太陽崇拜」は太字]』の諸篇『自分のものとする女に送る歌』『あらし』『日本の文學者に與ふる歌』『男性の歌』『航海の歌』等はその中から出た自分の愛生の叫びである。特に自分は『航海の歌』の或る部分を最も好く。そして自分は幾度か自分で叫んだ聲で自分を勵まされてその新生《ニウ・バアアス》の年(大正二年)を送つた。自分は太陽の子である。如何なる奈落の底へ落ちてもあの燃え上る空中の偉大崇嚴な火の圓球を憧れてやまない。自分は彼れから遠ざかれば遠ざかる程其愛着の深さを感ずる。此詩集の最後の篇『太陽崇拜[#「太陽崇拜」は太字]』を書い
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