入《はい》つて行つた。
 然しどうしたことだらう、私の心を充してゐた幸福な感情は段々逃げて行つた。香水の壜にも煙管にも私の心はのしかかつてはゆかなかつた。憂鬱が立て罩《こ》めて來る、私は歩き廻つた疲勞が出て來たのだと思つた。私は畫本《ゑほん》の棚《たな》の前へ行つて見た。畫集《ぐわしふ》の重たいのを取り出すのさへ常に増して力が要《い》るな! と思つた。然し私は一册づつ拔《ぬ》き出しては見る、そして開《あ》けては見るのだが、克明にはぐつてゆく氣持は更に湧《わ》いて來ない。然も呪はれたことにはまた次の一册を引き出して來る。それも同じことだ。それでゐて一度バラバラとやつて見なくては氣が濟《す》まないのだ。それ以上は堪らなくなつて其處へ置いてしまふ。以前の位置へ戻《もど》すことさへ出來ない。私は幾度もそれを繰返《くりかへ》した。たうとうおしまひには日頃《ひごろ》から大好きだつたアングルの橙色の重い本まで尚一層の堪《た》え難《がた》さのために置いてしまつた。――何といふ呪はれたことだ。手の筋肉に疲勞が殘つてゐる。私は憂鬱になつてしまつて、自分が拔いたまま積《つ》み重《かさ》ねた本の群《ぐん》を眺
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