《なが》めてゐた。
 以前にはあんなに私をひきつけた畫本《ゑほん》がどうしたことだらう。一枚一枚に眼を晒《さら》し終つて後《のち》、さてあまりに尋常な周圍を見廻すときのあの變《へん》にそぐはない氣持を、私は以前には好んで味つてゐたものであつた。………
「あ、さうださうだ」その時私は袂の中の檸檬を憶ひ出した。本の色彩をゴチヤゴチヤに積みあげて、一度この檸檬で試《ため》して見たら。「さうだ」
 私にまた先程の輕《かろ》やかな昂奮が歸つて來た。私は手當り次第に積みあげ、また慌しく潰《くづ》し、また慌しく築きあげた。新《あたら》しく引き拔いてつけ加《くは》へたり、取り去つたりした。奇怪《きくわい》な幻想的《げんさうてき》な城が、その度《たび》に赤くなつたり青くなつたりした。
 やつとそれは出來上つた。そして輕《かる》く跳《おど》りあがる心を制《せい》しながら、その城壁の頂きに恐《おそ》る恐る檸檬を据ゑつけた。そしてそれは上出來だつた。
 見わたすと、その檸檬の色彩《しきさい》はガチヤガチヤした色の階調をひつそりと紡錘形の身體の中へ吸收してしまつて、カーンと冴《さ》えかへつてゐた。私には埃《ほこ
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