なつてゐるのだつたら。――錯覺がやうやく成功しはじめると私はそれからそれへ想像の繪具《ゑのぐ》を塗りつけてゆく。何のことはない、私の錯覺と壞《くづ》れかかつた街との二重寫しである。そして私はその中に現實の私自身を見失ふのを樂しんだ。
 私はまたあの花火《はなび》といふ奴が好きになつた。花火そのものは第二段として、あの安つぽい繪具で赤や紫や黄や青や、樣ざまの縞模樣《しまもやう》を持つた花火の束、中山寺の星下《ほしくだ》り、花合戰《はながつせん》、枯れすすき。それから鼠花火《ねづみはなび》といふのは一つづつ輪になつてゐて箱に詰めてある。そんなものが變に私の心を唆つた。
 それからまた、びいどろ[#「びいどろ」に傍点]といふ色硝子で鯛や花を打出《うちだ》してあるおはじきが好きになつたし、南京玉《なんきんだま》が好きになつた。またそれを嘗《な》めて見るのが私にとつて何ともいへない享樂《きようらく》だつたのだ。あのびいどろ[#「びいどろ」に傍点]の味ほど幽《かす》かな凉しい味があるものか。私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱られたものだが、その幼時のあまい記憶が大きくなつて落魄《おちぶ》れた
前へ 次へ
全13ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
梶井 基次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング