たのを覺《おぼ》えてゐる。風景にしても壞《くづ》れかかつた街だとか、その街にしても他所他所《よそよそ》しい表通よりもどこか親《した》しみのある、汚い洗濯物が干してあつたりがらくた[#「がらくた」に傍点]が轉してあつたりむさくるしい部屋が覗いてゐたりする裏通が好きであつた。雨や風が蝕《むしば》んでやがて土に歸つてしまふ。と云つたやうな趣《おもむ》きのある街で、土塀が崩《くづ》れてゐたり家竝が傾きかかつてゐたり――勢ひのいいのは植物だけで時とすると吃驚《びつくり》させるやうな向日葵《ひまはり》があつたりカンナが咲いてゐたりする。
 時どき私はそんな路を歩きながら、不圖《ふと》、其處が京都ではなくて京都から何百里も離れた仙臺とか長崎とか――そのやうな市《まち》へ今自分が來てゐるのだ――といふ錯覺を起さうと努める。私は、出來ることなら京都から逃出して誰一人《だれひとり》知らないやうな市へ行つてしまひたかつた。第一に安靜。がらんとした旅館の一室。清淨な蒲團。匂ひのいい蚊帳《かや》と糊《のり》のよく利いた浴衣《ゆかた》。其處で一月ほど何も思はず横になりたい。希はくは此處が何時の間《ま》にかその市に
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