りあげているのである。そこには感情の弛緩があり、神経の鈍麻があり、理性の偽瞞がある。これがその象徴する幸福の内容である。おそらく世間における幸福がそれらを条件としているように。
私は以前とは反対に溪間を冷たく沈ませてゆく夕方を――わずかの時間しか地上に駐《とど》まらない黄昏《たそがれ》の厳かな掟《おきて》を――待つようになった。それは日が地上を去って行ったあと、路の上の潦《みずたまり》を白く光らせながら空から下りて来る反射光線である。たとえ人はそのなかでは幸福ではないにしても、そこには私の眼を澄ませ心を透き徹らせる風景があった。
「平俗な日なため! 早く消えろ。いくら貴様が風景に愛情を与え、冬の蠅を活気づけても、俺を愚昧《ぐまい》化することだけはできぬわい。俺は貴様の弟子の外光派に唾《つば》をひっかける。俺は今度会ったら医者に抗議を申し込んでやる」
日に当りながら私の憎悪はだんだんたかまってゆく。しかしなんという「生きんとする意志」であろう。日なたのなかの彼らは永久に彼らの怡《たの》しみを見棄てない。壜のなかのやつも永久に登っては落ち、登っては落ちている。
やがて日が翳りはじめる
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