《おお》っている。私は太陽光線の偽瞞《ぎまん》をいつもその杉林で感じた。昼間日が当っているときそれはただ雑然とした杉の秀《ほ》の堆積としか見えなかった。それが夕方になり光が空からの反射光線に変わるとはっきりした遠近にわかれて来るのだった。一本一本の木が犯しがたい威厳をあらわして来、しんしんと立ち並び、立ち静まって来るのである。そして昼間は感じられなかった地域がかしこにここに杉の秀《ほ》並みの間へ想像されるようになる。溪側にはまた樫や椎《しい》の常緑樹に交じって一本の落葉樹が裸の枝に朱色の実を垂れて立っていた。その色は昼間は白く粉を吹いたように疲れている。それが夕方になると眼が吸いつくばかりの鮮やかさに冴える。元来一つの物に一つの色彩が固有しているというわけのものではない。だから私はそれをも偽瞞と言うのではない。しかし直射光線には偏頗《へんぱ》があり、一つの物象の色をその周囲の色との正しい階調から破ってしまうのである。そればかりではない。全反射がある。日蔭は日表《ひなた》との対照で闇のようになってしまう。なんという雑多な溷濁《こんだく》だろう。そしてすべてそうしたことが日の当った風景を作
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