た。不吉を司《つかさど》る者――そう言ったものが自分に呼びかけているのであった。聞きたくない声を聞いた。……
 有楽町から自分の駅まではかなりの時間がかかる。駅を下りてからも十分の余はかかった。夜の更《ふ》けた切り通し坂を自分はまるで疲れ切って歩いていた。袴《はかま》の捌《さば》ける音が変に耳についた。坂の中途に反射鏡のついた照明燈が道を照している。それを背にうけて自分の影がくっきり長く地を這《は》っていた。マントの下に買物の包みを抱えて少し膨《ふく》れた自分の影を両側の街燈が次には交互にそれを映し出した。後ろから起って来て前へ廻り、伸びて行って家の戸へ頭がひょっくり擡《もちあが》ったりする。慌《あわただ》しい影の変化を追っているうちに自分の眼はそのなかでもちっとも変化しない影を一つ見つけた。極く丈の詰った影で、街燈が間遠になると鮮《あざや》かさを増し、片方が幅を利かし出すとひそまってしまう。「月の影だな」と自分は思った。見上げると十六日十七日と思える月が真上を少し外れたところにかかっていた。自分は何ということなしにその影だけが親しいものに思えた。
 大きな通りを外れて街燈の疎《まば》
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