達の話によると随分|非道《ひど》かったということで、自分はその時の母の気持を思って見るたびいつも黯然《あんぜん》となった。友達はあとでその時母が自分を叱った言葉だと言って母の調子を真似てその言葉を自分にきかせた。それは母の声そっくりと言いたいほど上手に模《も》してあった。単なる言葉だけでも充分自分は参っているところであった。友人の再現して見せたその調子は自分を泣かすだけの力を持っていた。
模倣《もほう》というものはおかしいものである。友人の模倣を今度は自分が模倣した。自分に最も近い人の口調はかえって他所から教えられた。自分はその後に続く言葉を言わないでもただ奎吉《けいきち》と言っただけでその時の母の気持を生《い》きいきと蘇《よみが》えらすことができるようになった。どんな手段によるよりも「奎吉!」と一度声に出すことは最も直接であった。眼の前へ浮んで来る母の顔に自分は責められ励まされた。――
空は晴れて月が出ていた。尾張町から有楽町へゆく鋪道《ほどう》の上で自分は「奎吉!」を繰り返した。
自分はぞーっとした。「奎吉」という声に呼び出されて来る母の顔付がいつか異《ちが》うものに代ってい
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