兄は北|牟婁《ムロ》でその病気が癒《なお》るようにと神詣でをしてくれた。病気がややよくなって、峻は一度その北|牟婁《ムロ》の家へ行ったことがあった。そこは山のなかの寒村で、村は百姓と木樵《きこり》で、養蚕《ようさん》などもしていた。冬になると家の近くの畑まで猪《いのしし》が芋を掘りに来たりする。芋は百姓の半分常食になっていた。その時はまだ勝子も小さかった。近所のお婆さんが来て、勝子の絵本を見ながら講釈しているのに、象のことを鼻巻き象、猿のことを山の若い衆[#「山の若い衆」に傍点]とかやえん[#「やえん」に傍点]とか呼んでいた。苗字《みょうじ》のないという子がいるので聞いてみると木樵《きこり》の子だからと言って村の人は当然な顔をしている。小学校には生徒から名前の呼び棄てにされている、薫という村長の娘が教師をしていた。まだそれが十六七の年頃だった。――
 北|牟婁《ムロ》はそんな所であった。峻《たかし》は北|牟婁《ムロ》での兄の話には興味が持てた。
 北|牟婁《ムロ》にいた時、勝子が川へ陥《はま》ったことがある。その話が兄の口から出て来た。
 ――兄が心臓脚気で寝ていた時のことである。七十
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