はとぼけて見せた。そして自分から笑ってしまった。こんな笑い方をしたからにはもう後ろから歩いてゆくわけにはゆかなくなった。
「早う。気持が悪いわ。なあ。信ちゃん」
「……」笑いながら信子も点頭《うなず》いた。
芝居小屋のなかは思ったように蒸し暑かった。
水番というのか、銀杏返《いちょうがえ》しに結った、年の老《ふ》けた婦《おんな》が、座蒲団を数だけ持って、先に立ってばたばた敷いてしまった。平場《ひらば》の一番後ろで、峻《たかし》が左の端、中へ姉が来て、信子が右の端、後ろへ兄が座った。ちょうど幕間《まくあい》で、階下は七分通り詰まっていた。
先刻の婦《おんな》が煙草盆を持って来た。火が埋《うず》んであって、暑いのに気が利かなかった。立ち去らずにぐずぐずしている。何と言ったらいいか、この手の婦《おんな》特有な狡猾《ずる》い顔付で、眼をきょろきょろさせている。眼顔《めがお》で火鉢を指したり、そらしたり、兄の顔を盗み見たりする。こちらが見てよくわかっているのにと思い、財布の銀貨を袂《たもと》の中で出し悩みながら、彼はその無躾《ぶしつけ》に腹が立った。
義兄は落ちついてしまって、まるで無
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