あわ》てたように
「帰っておいでなしたぞな」と家へ言い入れた。
 奇術が何とか座にかかっているのを見にゆこうかと言っていたのを、峻がぽっと出てしまったので騒いでいたのである。
「あ。どうも」と言うと、義兄《あに》は笑いながら
「はっきり言うとかんのがいかんのやさ」と姉に背負わせた。姉も笑いながら衣服を出しかけた。彼が城へ行っている間に姉も信子(義兄の妹)もこってり化粧をしていた。
 姉が義兄に
「あんた、扇子は?」
「衣嚢《かくし》にあるけど……」
「そうやな。あれも汚れてますで……」
 姉が合点合点などしてゆっくり捜しかけるのを、じゅうじゅうと音をさせて煙草を呑《の》んでいた兄は
「扇子なんかどうでもええわな。早う仕度《したく》しやんし」と言って煙管《きせる》の詰まったのを気にしていた。
 奥の間で信子の仕度を手伝ってやっていた義母《はは》が
「さあ、こんなはどうやな」と言って団扇《うちわ》を二三本寄せて持って来た。砂糖屋などが配って行った団扇である。
 姉が種々と衣服を着こなしているのを見ながら、彼は信子がどんな心持で、またどんなふうで着付けをしているだろうなど、奥の間の気配に心を
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