名は「樂園」や「落日」のなかの檢温器、それからこの詩などから得て來たものではなからうか。この作品は小説に於ける横光利一を聯想せしめる。北川冬彦はこの詩を愛してゐるにちがひない。
紙數がない。次へはひらねばならぬ。
「戰爭」及「光について」。即ち「檢温器と花」以後三年間の勞作である。
私は彼のこの三年間を深い感慨なしには回想することが出來ない。彼は生き死にの苦しみを經て生きて來た。
「絶望の歌」。これこそはモニユメントである。この一種人に迫る鬼氣を持つた作品は彼の陷つた絶望の深さを示してゐる。恐らくこれほど彼の愛し且つ憎む作品はないであらう。しかし彼は死なずに生きて來た。骨を刻むやうに詩を作りながら。
「絶望の歌」や「肉親の章」は第二詩集以後彼の示した一つの轉向であつた。人は彼の詩が「小説のやうになつた」と云つた。彼はこの形式に彼の恐ろしい苦悶を盛りはじめたのである。
「腕」(26[#「26」は縦中横]頁)の白癡のやうな笑ひ。無題(18[#「18」は縦中横]頁)及び無題(27[#「27」は縦中横]頁)の夢魘。人はこれらの詩のなかにも彼の苦悶を讀まねばならぬ。さるにしてもこの「腕」の大
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