つづいてゐる。その後が後庭で、畠をつくつてゐた。かう書くと、門の兩側がせまく小汚らしげだが、どういたして、石疊に楊柳の花が散り、厨司の小屋かと思ふ垣根には、ライラツクの花がにほつてゐる風情だ。
ある日、厨司が一週間分の賄費を、買物の帳面を持つてとりに來た。
葱一本、牛肉拾錢と、ちらと讀んだ私はその人たちの買もの帳だと思つた。それにしても葱一本とは――
すると妹が説明した。びつくらしたでせう、ほんとに、支那人、えらいのよ、厨司たちは毎朝買出しに行くのに、主人自慢でありながら買ものはちつともむだをしないで、およそ一日に一人分幾錢といつて賄ふのよ、と。
妹の家の厨司は腕利きで、今までにもよい主人ばかりをもつてゐた。彼は、日本料理も得意だ。おさしみでも、椀盛りでも震災後の東京なら、流行する店の味と違はない位だつた。夫人《おくさん》、日本へ行つたら、こんな風なさしみ皿買つて來て下さい、といふふうだ。お茶受けには鮨をつくり、汁粉をつくる。しかもお國料理はもとより、ふらんす料理も立派にやる。それで月給は二十圓、女房が女中をしてゐて別に五圓の手當。これは例外によい價ださうで、たいがいの家では、
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