拾圓十五圓といふのを使つてゐる。
いいえ、食事は自分たちでするのですよ、あたしも來た當座、びつくらしてしまつて、それぢや、なんぼなんでも、一流といつても好い職人に、あんまり氣の毒だと思つたら、古くから在住するかたに、別なことをすると、他の者が、困るといはれましたの、と妹はいつた。
賄《まかな》ひつてどの位? ときくと、さあ、お客樣がいらしつたから、一圓五十錢にもしたかしら、それとも一圓かしら? 大概三十五錢から、四十錢だと上等なのです。
一食ではない、もとより一日分三度、一汁五菜、二汁三菜位はつけるといふ。しかもおやつまで入れ、煎茶の代もはいつてゐるといふのだから驚いてしまつた。
大概この他《ほか》に、看門的といふ門番が居る。月給から話すと、東京と別にたいした違ひはないやうだが、彼等はみな、各自の小屋で自炊なのだから、主人の臺所の經費は甚しく輕い。
もすこしそれらのことを、短い日に見た、在留邦人のくらしかたではあるが、その居まはりの日常生活の見たままを、そのうちに書いて見よう。‥‥
[#地から2字上げ](「文藝春秋」昭和十二年十一月)
底本:「桃」中央公論社
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