《てのひら》に握りつぶされてしまったので、世の中を悲観しないわけにはゆかなかった。彼女はもう何もかも一切のわずらわしさを捨て、故郷に隠遁《いんとん》してしまおうと決心したが、その心持ちを知る人に慰藉《いしゃ》されて思い直し、末虎、照玉と共に旗上げをして鬱《うつ》をなぐさめた。けれどその、苦悩から生れた貴い勇気も、直《すぐ》に阻《はば》むような悪いことがつづいた。時運の来ぬということは仕方のないもので、殊勝な彼女らの旗上げは半年目で火災に逢い、一座は三味線も見台《けんだい》も、肩衣《かたぎぬ》もみんな焼失してしまった。過度の神経衰弱におかされ弱まった心は、またしても故郷に埋もれてしまおうとしたが、九州、中国と巡業したのち思いきって東京へと乗出した。
呂昇の上京は、いまこそ来ぬうちから待兼《まちかね》られるが、廿五歳で出て来たおりには十銭の木戸で、それでも思ったほどの客足はなかったのである。横浜を打上げて帰阪すると、松の亭の席主が八百円の金を貸してくれたので播重と手を断つことになったのであった。けれどもまた、呂昇は松の亭からはなれることが出来なくなってしまった。
何処までいってもはてし
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