奪ったのは、彼女のためにかなり尽し入揚《いれあ》げた紳士である。紳士であると思えばこそ世心《よごころ》知らぬ彼女もしたがっていたのであろうが、長い月日のうちには素振《そぶ》りのあやしげなのが仲間うちから噂《うわさ》されるようになった。その紳士が前科者だと知れると、一座するものからも疎《うと》んぜられるようになってしまった。
 彼女の人生の出発点にはそうした痛手があった。彼女の美貌《びぼう》が彼女を悲運におとしたのである。彼女はその心のいたでを癒《いや》すには、全力をそそいで芸の道にまっしぐらとならなければならないと思った。十九歳ごろには、芸の方で彼女を顧みるものもなかったのである。小土佐と一緒に東京へと志望したが、も一修業してから来いと突離《つきはな》された彼女は、若き胸中に、鬱勃《うつぼつ》たる芸の野心と、悲しい心の傷《いた》みとに戦いながら大阪へ出て呂太夫《ろだゆう》に師事した。その当時の大阪は摂津大掾《せっつだいじょう》がまだ越路《こしじ》の名で旭日《あさひ》の登るような勢いであり、そのほかに弥津《やつ》太夫、大隅《おおすみ》太夫、呂太夫の錚々《そうそう》たるがあり、女義には東猿
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