しとしとと、春雨の降るように泣きぬれ、打《うち》かこちた姿である。
 鎌倉時代から室町の頃にかけては、前期の女性を緋桜《ひざくら》、または藤の花にたとうれば、梅の芳《かんば》しさと、山桜の、無情を観じた風情《ふぜい》を見出すことが出来る。生に対する深き執着と、諦《あきら》めとを持たせられた美女たちは、前代の女性ほど華やかに、湿やかな趣きはかけても、寂《さび》と渋味《しぶみ》が添うたといえもする。この期の女性の、無情感と諦めこそ、女性には実に一大事となったのだが、美人観には記す必要もなかろう。
 徳川期に至っては、元禄の美人と文化以後のとはまるで好みが違っている。しかしここに来て、くっきりと目立つのは、上流の貴女ばかりが目立っていたのから、すべてが平民的になった事である。ひとつには当時の上流と目される大名の奥方や、姫君などは、籠《かご》の鳥《とり》同様に檻禁《かんきん》してしまったので、勢い下々《しもじも》の女の気焔《きえん》が高くなったわけである。湯女《ゆな》、遊女《ゆうじょ》、掛茶屋の茶酌女《ちゃくみおんな》等は、公然と多くの人に接しるから、美貌はすぐと拡まった。
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