をうつし奉《たてまつ》ったという仏像や、その他のものにも当時の美女の面影をうかがう事が出来る。上野博物館にある吉祥天女《きっしょうてんにょ》の像、出雲《いずも》大社の奇稲田姫《くしいなだひめ》の像などの貌容《がんよう》に見ても知られる。
 平安朝になっては美人の形容が「あかかがちのように麗々《れいれい》しく」と讃えられている。「あかかがち」とは赤酸漿《たんばほおずき》の実《み》の古い名、当時の美女はほおずきのように丸く、赤く、艶やかであったらしくも考えられる。赤いといっても色艶《いろつや》うるわしく、匂うようなのを言ったのであろう。古い絵巻などに見ても、骨の細い、肉つきのふっくりとした、額は広く、頬も豊かに、丸々とした顔で、すこし首の短いのが描いてある。そのころは、髪の毛の長いのと、涙の多いのとを女の命としてでもいたように、物語などにも姿よりは髪の美しさが多くかかれ、敏感な涙が多くかかれてあるが、徳川期の末の江戸女のように、意気地《いきじ》と張りを命にして、張詰めた溜涙《ためなみだ》をぼろぼろこぼすのと違って、細い、きれの長い、情のある眦《まなじり》をうるませ、几帳《きちょう》のかげに
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