が、漸《ようや》く、江戸|根生《ねおい》の個性あるものとなったのだった。錦絵、芝居から見ても、洗いだしの木目《もくめ》をこのんだような、江戸系の素質を磨《みが》き出そうとした文化、文政以後の好みといえもする。――その間に、明治中期には、中京美人の輸入が花柳界を風靡《ふうび》した――が、あらそわれないのは時代の風潮で、そうしたかたむきは、京都を主な生産地としている内裏雛《だいりびな》にすら、顔立ち体つきの変遷が見られる。内裏雛の顔が尖《とが》って、神経質なものになったのは、明治の末大正の初めが甚《はなはだ》しかった。
上古の美人は多く上流の人のみが伝えられている。稀《まれ》には国々の麗《うる》わしき少女《おとめ》を、花のように笑《え》めるおもわ、月の光りのように照れる面《おもて》とうたって、肌の艶《つや》極めてうるわしく、額広く、愁《うれい》の影などは露ほどもなく、輝きわたりたる面差《おもざし》晴々として、眼瞼《まぶた》重げに、眦《まなじり》長く、ふくよかな匂わしき頬《ほほ》、鼻は大きからず高すぎもせぬ柔らか味を持ち、いかにものどやかに品位がある。光明皇后《こうみょうこうごう》の御顔
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