であろう。そしても一人、忘れる事の出来ないのは新橋のぽんた――鹿島恵津子《かじまえつこ》夫人のある事である。
 桃吉の「笹屋」は妓名の時の屋号ではない。笹屋の名は公爵|岩倉具張《いわくらともはり》氏と共棲《ともずみ》のころ、有楽橋《ゆうらくばし》の角に開いた三階づくりのカフェーの屋号で、公爵の定紋《じょうもん》笹竜胆《ささりんどう》からとった名だといわれている。桃吉はお鯉の照近江に居たのである。照近江から初代お鯉が桂公の寵妾《ちょうしょう》となり、二代目お鯉が西園寺侯爵の寵愛となった。二代つづいて時の総理大臣侯爵に思われたので、桃吉も発奮したのであろう、彼女は岩倉公を彼女ならではならぬものにしてしまった。そして大勢の子のある美しい桜子夫人との仲をへだてて館《やかた》を出るようにさせてしまった。そして二人は、桃吉《ももきち》御殿《ごてん》とよばれたほど豪華な住居をつくって住んだりした果《はて》が、負債のために稼がなければならないという口実で、彼女が厭《あ》きていた内裏雛《だいりびな》生活から、多くの異性に接触しやすい、もとの家業に近い店をだしたのであった。彼女は笹屋の主人となり、ダイヤモ
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