負って、一銭もなしで家に帰って来たりした。彼女は四人の子供を抱えて、そうした夫につかえるために貧苦をなめつくした。ある時は行商となり、ある時は車をおしてものを商《あきな》い、ある時は夫の郷里にゆく旅費がなくて、門附《かどづ》けをしながら三味線をひいて歩いたこともあった。晩年にやや志望《こころざし》を遂げるようになっても、すこしも心の紐《ひも》はゆるめず、朝鮮に、支那に、出征兵士をねぎらって、肺患の重《おも》るのを知りながら、薬瓶をさげて往来していた。

       五

 高橋おでんも、蝮《まむし》のお政も、偶々《たまたま》悪い素質をうけて生れて来たが、彼女たちもまた美人であった。おでんもお政も悪が嵩《こう》じて、盗みから人殺しまでする羽目になった。それにくらべては、花井お梅は思いがけなく人を殺してしまったので、獄裡《ごくり》に長くつながれたとはいえ、それを囚人あつかいにし、出獄してから後も、囚人であった事を売物|見世物《みせもの》のようにして、舞台にさらしたり、寄席《よせ》に出したりしたのはあんまり無惨《むざん》すぎる。社会は冷酷すぎる。彼女は新橋で売れた芸者であったが、日本橋区の
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