った彼女の顔容は、おごそかなほど美しかった。彼女は夫と並んで、その背には一人子の照子を背負っていた。そしていつも貧しい人の群れにまじって歩いていた。ある時は月島の長屋住居をし、ある時は一膳めしやに一食をとっていた。栗色の大理石《マーブル》で彫ったようなのが彼女であった。
宗教家ではないが、愛国婦人会の建設者|奥村五百子《おくむらいおこ》も立派な容貌をもっていた。彼女が会を設立した意味は今日ほど無意義なものではなかった。彼女は幼いころから愛国の士と交わっていたので、彼女の血は愛国の熱に燃えていたのである。彼女は尋常一様の家婦としてはすごされないほど骨がありすぎた。彼女は筑紫《つくし》の千代の松原近き寺院の娘に生れたが、父は近衛公の血をひいていて、父兄ともに愛国の士であったゆえ、彼女も幼時から女らしいことを好まず、危い使いなどをしたりした。しかし一たん彼女は夫を迎えると、貞淑温良な、忠実な妻であった。彼女の夫は煎茶《せんちゃ》を売りにゆくに河を渡って、あやまって売ものを濡《ぬら》してしまうと、山の中にはいって終日、茶を乾《ほ》しながら書籍を読みふけっていて、やくにたたなくなった茶がらを背
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