り、バイブルに親しむ聖徒となり、再転、川上|貞奴《さだやっこ》の「女優養成所」の監督となって、劇術研究に渡米し、米国ボストンで客死したとき、財産の全部ともいうほどを、昔日の恋人に残した佳話の持主で、書残されない女である。
 三艸子《みさこ》の妹もうつくしい人であったが、尾上《おのえ》いろともいい、荻野八重桐《おぎのやえぎり》とも名乗って年をとってからも、踊の師匠をして、本所のはずれにしがない暮しをしていた。この姉妹が盛りのころは、深川の芸者で姉は小川屋の小三《こさん》といい、または八丁堀|櫓下《やぐらした》の芸者となり、そのほかさまざまの生活をして、好き自由な日を暮しながら歌人としても相当に認められ、井上文雄《いのうえふみお》から松《まつ》の門《と》の名を許され、文人墨客の間を縫うて、彼女の名は喧伝《けんでん》されたのであった。その頃は芸者が意気なつくりをよろこんで、素足《すあし》の心意気の時分に、彼女は厚化粧《あつげしょう》で、派手やかな、人目を驚かす扮飾をしていた。山内侯に見染められたのも、水戸の武田耕雲斎《たけだこううんさい》に思込まれて、隅田川の舟へ連れ出して白刃《はくじん》を
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