った侍のころ深く相愛して、彼女の魂として井上氏の懐に預けておいた手鏡――青銅の――ために、井上氏は危く凶刃《きょうじん》をまぬかれたこともあった。彼女は桂小五郎の幾松《いくまつ》――木戸氏夫人となった――とともに、勤王党の京都女を代表する美人の幾人かのうちである。
歌人|松《まつ》の門《と》三艸子《みさこ》も数奇な運命をもっていた。八十歳近く、半身不随になって、妹の陋屋《ろうおく》でみまかった。その年まで、不思議と弟子をもっていて人に忘れられなかった女である。その経歴が芸妓となったり、妾となったりした仇者《あだもの》であったために、多くそうした仲間の、打解けやすい気易《きやす》さから、花柳界から弟子が集った。彼女は顔の通りに手跡《しゅせき》も美しかった。彼女の絶筆となったのはたつみや[#「たつみや」に傍点]の襖《ふすま》のちらし書であろう。その辰巳屋《たつみや》のお雛《ひな》さんも神田で生れて、吉原の引手茶屋|桐佐《きりさ》の養女となり、日本橋区|中洲《なかす》の旗亭辰巳屋おひなとなり、豪極《ごうき》にきこえた時の顕官山田○○伯を掴《つか》み、一転|竹柏園《ちくはくえん》の女歌人とな
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