せ》にも出て投節《なげぶし》などを唄っていた。彼女はじきに乱髪《らんぱつ》になる癖があった。席亭《せきてい》に出ても鉢巻のようなものをして自慢の髪を――ある折はばらりと肩ぐらいで切っている事もあった。彼女が米八の昔は、時の人からたった二人の俊髦《しゅんもう》として許された男――末松謙澄《すえまつけんちょう》と光明寺三郎《こうみょうじさぶろう》――いずれをとろうと思い迷ったほど、思上った気位で、引手あまたであった。とうとうその一人の光明寺三郎夫人となったが、天は、その能ある才人に寿《じゅ》をかさず、企図は総て空しいものとされてしまった。彼女はその後、浮世を真っすぐに送る気をなくしてしまって、斗酒《としゅ》をあおって席亭で小唄をうたいながら、いつまでも鏡を見てくらす生涯を送るようになった。しかし伝法《でんぽう》な、負けずぎらいな彼女も寄る年波には争われない。ある夜、外堀線《そとぼりせん》の電車へのった時に、美女ではあるが、何処やら年齢のつろくせぬ不思議な女が乗合わせた、と顔を見合わした時に、彼女はそれと察してかクルリと後をむいて、かなり長い間を立ったままであった。席はむしろすきすぎていたの
前へ
次へ
全44ページ中28ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング