であったが、彼女は正体を見あらわされるのを厭《きら》ったに違いなかった。艶やかに房やかな黒髪は、巧妙にしつらわれた鬘《かつら》なのは、額でしれた。そして悲しいことに、釣り革をにぎる手の甲に、年数《としかず》はかくすことが出来ないでいた。
女役者として巍然《ぎぜん》と男優をも撞着《どうちゃく》せしめた技量をもって、小さくとも三崎座に同志を糾合《きゅうごう》し、後にはある一派の新劇に文士劇に、なくてならないお師匠番として、女団洲の名を辱《はずか》しめなかった市川九女八《いちかわくめはち》――前名|岩井粂八《いわいくめはち》――があり、また新宿|豊倉楼《とよくらろう》の遊女であって、後の横浜|富貴楼《ふっきろう》の女将《おかみ》となり、明治の功臣の誰れ彼れを友達づきあいにして、種々な画策に預ったお倉という女傑《じょけつ》がある。お倉は新宿にいるうちに、有名な堀の芸者小万と男をあらそい、美事にその男とそいとげたのである。彼女は養女を多く仕立て、時の顕官に結びつくよすがとした、雲梯《うんてい》林田亀太郎《はやしだかめたろう》氏――粋翰長《すいかんちょう》として知られた、内閣書記翰長もまたお倉の
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