人のために台所番頭という役廻りまであって、その人たちは立派な一家をなし、中流以上の家計を営んでいたのである。
お上《かみ》女中、お下《しも》女中、三十人からの女中が一日、齷齪《あくせく》とすわる暇もなく、ざわざわしていた家である。台所もお上《かみ》の台所、お下《しも》の台どころとわかれ、器物などもそれぞれに応じて来客にも等差が非常にあった。
彼女はそうした生活から、そうした放縦《ほうしょう》の疲労から老衰を早めた。おりもおり、さしもに誇りを持った横浜の土地から、或夜、ひそかに逃げださなければならなかった。彼女は幾台かの自動車に守られて、かねて東京へ来たおりの遊び場処にと、それも贔屓《ひいき》のあまりにかい取っておいた、赤坂仲の町の俳優|尾上梅幸《おのえばいこう》の旧宅へと隠れた。
とはいえ彼女はさすがに苦労をした女であり、また身にあまる栄華を尽したことをも悟っていたのか、家の退転については、あまり見苦しい態度はとらなかったということである。病床にある彼女はすっかり諦めて、これが本来なのだ、もともと通りなのだと達観しているとも聞いたが、何処《どこ》やらに非凡なところがある女という
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