深刻な悲惨な目を見たのである。彼女は王侯貴人にもまさる贅沢《ぜいたく》が身にしみてしまっていた。そして彼女のはなはだしい道楽――彼女が生甲斐《いきがい》あるものとして、生きいるうちは一日も止めることの出来ないように思っていた、芸人を集めて、かるた遊びをしたり、弄花《ろうか》の慰《なぐさ》みにふけることは、どうしてもやめなければならないような病気にかかっていた。長い間の酒色《しゅしょく》、放埒《ほうらつ》のむくいからか、彼女の体は自由がきかなくなっていた。それでも彼女の奢《おご》りの癖は、吉原の老妓や、名古屋料理店の大升《だいます》の娘たちなどを、入びたりにさせ、機嫌をとらせていた。看護婦とでは、十人から十五人の人たちが、彼女の手足のかわりをして慰めていた。風呂に入る時などは幕を張り、屏風《びょうぶ》をめぐらし、そして静々《しずしず》と、ふくよかな羽根布団にくるまれて、室内を軽く辷《すべ》る車で、それらの人々にはこばせるのであった。野沢屋の店が、この親子三人――彼女は祖母で、娘は未亡人となり、主人はまだ無妻であった――のために月々仕払う生活費は一万円であったということである。無論たった三
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