ある。明治十六年の夏、山王《さんのう》――麹町|日枝《ひえ》神社の大祭のおりのことであった。芸妓歌吉は、日本橋の芸妓たちと一緒に手古舞《てこまい》に出た、その姿をうみの男の子で、鍛冶屋《かじや》に奉公にやってあるのを呼んで見物させて、よそながら別れをかわした上、檜物町《ひものちょう》の、我家の奥蔵の三階へ、彼女たちの父親を呼んで、刃物で心中したのであった。
 彼女たちは後に、芝居でする「天の網島」を見てどんな気持ちに打たれたであろうか、紙屋治兵衛《かみやじへえ》は他人の親でなく、浄瑠璃でなく、我親そのままなのである。京橋八官町の唐物屋《とうぶつや》吉田吉兵衛なのである。
 彼女たちの父は入婿《いりむこ》であった。母は気強《きごう》な女であった。また芸妓歌吉の母親や妹も気の強い気質であった。その間に立って、気の弱い男女は、互いに可愛い子供を残して身を亡《ほろぼ》したのである。其処に人世の暗いものと、心の葛藤《かっとう》とがなければならない。結びついて絡《から》まった、ついには身を殺されなければならない悲劇の要素があったに違いない。
 その当時の新聞記事によると、歌吉の母親は、対手《あいて
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