れ》に見る美人でおわしました。明眸皓歯《めいぼうこうし》とはまさにこの君の御事と思わせられた。いみじき御才学は、包ませられても、御詠出の御歌によって洩《も》れ承《うけたま》わる事が出来た。
明治聖帝が日本の国土の煌《かがや》きの権化《ごんげ》でおわしますならば、桜さく国の女人の精華は、この后であらせられた。大日輪の光りの中から聖帝がお生まれになったのならば、天地馥郁《てんちふくいく》として、花の咲きみちこぼれたる匂いの蕋《しべ》のうちに、麗しきこの女君《めぎみ》は御誕生なされたのである。明治の御代に生れたわたしは、何時もそれをほこりにしている。一天|万乗《ばんじょう》の大君の、御座《ぎょざ》の側《かたわ》らにこの后がおわしましてこそ、日の本は天照大御神の末で、東海貴姫国とよばれ、八面|玲瓏《れいろう》の玉芙蓉峰《ぎょくふようほう》を持ち、桜咲く旭日《あさひ》の煌く国とよぶにふさわしく、『竹取物語』などの生れるのもことわりと思うのであった。
我等女性が忘れてならないこの后からの賜物《たまもの》は、長い間の習わしで、女性の心が盲目であったのに目を開かせ、心の眠っていたものに夢をさまさせ
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