ま》の輿《こし》の風潮にさそわれて、家憲《かけん》厳しかった家までが、下々《しもじも》では一種の見得《みえ》のようにそうした家業柄の者を、いきなり家庭の主婦として得々としていた――これは中堅家庭の道徳の乱れた源となった。
しかしながら、それは国事にこと茂くて、家事をかえり見る暇《いとま》のすけなかった人や、それほどまでに栄達して、世の重き人となろうとは思わなかった人の、軽率な、というより、止《や》むを得《え》ぬ情話などが絡《から》んでそうなったのを――しかもその美妓たちには、革進者を援ける気概のあった勝《すぐ》れた婦人も多かったのだ――世人は改革者の人物を欽仰《きんこう》して、それらのことまで目標とし、師表とした誤りである。ともあれ、前時代の余波をうけて、堅気な子女は深窓を出ず、几帳《きちょう》をかなぐって、世の中に飛出したものもなかったので、勢い明治初年から中頃までは、そうした階級の女の跳躍にまかせるより外はなかった。
ここに燦《さん》として輝くのは、旭日《あさひ》に映る白菊の、清香|芳《かん》ばしき明治大帝の皇后宮、美子《はるこ》陛下のあれせられたことである。
陛下は稀《ま
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