しとしとと、春雨の降るように泣きぬれ、打《うち》かこちた姿である。
 鎌倉時代から室町の頃にかけては、前期の女性を緋桜《ひざくら》、または藤の花にたとうれば、梅の芳《かんば》しさと、山桜の、無情を観じた風情《ふぜい》を見出すことが出来る。生に対する深き執着と、諦《あきら》めとを持たせられた美女たちは、前代の女性ほど華やかに、湿やかな趣きはかけても、寂《さび》と渋味《しぶみ》が添うたといえもする。この期の女性の、無情感と諦めこそ、女性には実に一大事となったのだが、美人観には記す必要もなかろう。
 徳川期に至っては、元禄の美人と文化以後のとはまるで好みが違っている。しかしここに来て、くっきりと目立つのは、上流の貴女ばかりが目立っていたのから、すべてが平民的になった事である。ひとつには当時の上流と目される大名の奥方や、姫君などは、籠《かご》の鳥《とり》同様に檻禁《かんきん》してしまったので、勢い下々《しもじも》の女の気焔《きえん》が高くなったわけである。湯女《ゆな》、遊女《ゆうじょ》、掛茶屋の茶酌女《ちゃくみおんな》等は、公然と多くの人に接しるから、美貌はすぐと拡まった。
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当世貌《とうせいがお》は少しく丸く、色は薄模様にして、面道具《めんどうぐ》の四つ不足なく揃へて、目は細きを好まず、眉《まゆ》厚く鼻の間せわしからずして次第に高く、口小さく、歯並《はなみ》あら/\として白く、耳長みあつて縁浅く、身を離れて根まで見えすき、額《ひたい》ぎはわざとならず自然に生えとまり、首筋たちのびて、後《おく》れなしの後髪、手の指はたよわく、長みあつて爪《つめ》薄く、足は八|文《もん》三|分《ぶ》の定め、親指|反《そ》つて裏すきて、胸間常の人より長く、腰しまりて肉置《ししおき》たくましからず、尻はゆたかに、物ごし衣装つきよく、姿の位そなはり、心立《こころだて》おとなしく、女に定まりし芸すぐれて万《よろず》に賤《いや》しからず、身にほくろひとつもなき――
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と井原西鶴《さいかく》はその著『一代女』で所望している。
 明治期の美女は感じからいって、西鶴の注文よりはずっと粗《あら》っぽくザラになった(身にほくろ一つもなき)というに反して、西洋風に額にほくろを描くものさえ出来た。
 徳川期では、吉原《よしわら》や島原《しまばら》の廓《くるわ》が社交場で
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