う。彼女は若いころの奔放さをもちながら、おとろえてゆく嘆きに堪えないでか、大酒をあおって、芝居見物中など大声をあげていた。浴衣《ゆかた》の腕をまくり、その頃はまだ珍らしい腕輪を見せ、やや長めの断髪の下から、水入りの助六《すけろく》(九代目市川団十郎歌舞伎十八番)のような鉢巻《はちまき》を手拭《てぬぐい》でして、四辺《あたり》をすこしもはばからなかった。彼女が米八の若盛りに、そのころの最新知識の秀才二人を見立て、そのうちの誰が、この米八の配偶として最もよいかという事になり、めでたくその一人と結びはしたものの、その人に早く死別して、あたら才女も奇矯な女になってしまったのであった。また赤坂で、町芸者|常磐津《ときわず》の師匠ともつかずに出ていたおちょうが、開港場の人気の、投機的なのに目をつけて横浜にゆき、生糸王国をつくった茂木、野沢屋の後妻となり、あの大資産を一朝にひっくりかえした後日|譚《ものがたり》の主人公となったのも、叶屋《かのうや》歌吉という、子まである年増《としま》芸妓と心中した商家の主人の二人の遺子が、その母と共に新橋に吉田屋という芸妓屋をはじめ、その後身が、益田《ますだ》男爵の
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