はなれのよい顏をする。顏にかかはるからだ。無理な具面《くめん》も自分が可愛いからで、自分の口の問題だからだ。それを、些か、似るところがあるからとて、維新の女傑野村望東尼や、明治の愛國婦人會設立者奧村五百子を、そのものたちとならべる愚は、誰もしないであらう。
 私のいふ意味の、女親分、姐御の起つたはじめは――もとよりそれより前にも似た職分《しよくぶん》はあつたであらうが――男伊達《をとこだて》、奴立《やつこだて》から來てゐる。旗本奴《はたもとやつこ》、町奴《まちやつこ》からの傳來の男立だが、幕末の侠客は博奕渡世になり、男を立てるたてないも、さうした繩張りの爭ひが主のやうだつた。もともと奴《やつこ》といふ名からして、大昔から貶《いやし》められ、罵しられた卑稱で、あやつ、こやつ、やつ、やつこ、家《いへ》の子、家《や》ツ子だといふことだ。奴は奴隷《どれい》で、女は奴婢《ぬひ》であり、庶民より一階級下の賤民とされてゐた。江戸時代でさへ重罪人の妻子や、妹など、または關所破りの女たちなどは、本籍を剥がれ、無籍者、女奴《をんなやつこ》として吉原へ無期限でおとされたといふ、奴とはいまはしい名なのだ。大昔
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