ても、白刄《しらは》の中をもおそれぬ氣魄《きはく》と正義觀《せいぎくわん》のあつた者を、當初《はじめ》は立ててきたのであらうが、總稱して、姐御とは親分のおかみさんをさすことになり、それに似たつくりのあばずれ女などを多くさしていつたものとなつたのだ。丈夫魂《ますらをだましひ》は、男の所有のものばかりだと思つてもらつてはちつと困る。男にだつて持ちあはせぬものの方が多い。だからこそ、わざわざますらをといふ言葉が立派さうにあるので、女にもますらをだましひの所有者は澤山《たくさん》にある。ごく大昔のことはいはなくつても、近代にも、武家の妻にも町人の妻にも娘にも、業《ぎやう》に徹した尼さんなどにも實に多くある。女として外見からいかついのは、眞《しん》のますらを魂《だましひ》の所有者ではない。
で、よく人の面倒を見るやうだから姐御だといふならば、それは甚だ非理で、そこに心から迸《ほとば》しるやはらぎと、人入《ひとい》れ稼業をかねた、傍の迷惑をかへりみぬもの好きとの區別がなければならない。いはゆる女親分、姐御はそれが商業《しやうばい》で、勢力をつくるためにさうするのだ。だから、性分はケチンボでもきれ
前へ
次へ
全15ページ中6ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
長谷川 時雨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング