た、朝酒《あさざけ》でもひつかぶつてゐられるやうな時期の、大姐御といふもののかたちを示してみると、黒じゆすの襟のかかつた廣袖《ひろそで》の綿入れ半纒、頭髮はいぼぢり[#「いぼぢり」に傍点]卷きか、おたらひ、長羅宇の煙管をついて長火鉢の前に立膝。白の濱ちりめんの湯まきに、藍辨慶のお召、黒の唐じゆすと茶博多のはらあはせのひつかけ帶――事實これが似合ふ女は、さうザラにあるものではない。甚ださつぱりしてゐるやうでゐて、おそろしく、人によつてなまめかしくなる。そこで素地《きぢ》を洗ひ出す必要があつたのであらうが、當今の芝居で見るやうな、場違ひの、エロつぽいものも澤山あつたものと思へる。およそ、厭味なのが多かつたことであらう。
 しかも、早のみこみで、勘《かん》ぐりで、小才がある。かういふ女がおつちよこちよいをけしかけたのだから、小喧嘩《こいさかひ》は絶えない筈ではなからうか。ものの根本《こんぽん》をわきまへず、親分の顏――面《つら》がたたねえといふだけで、蝗螽《いなご》のやうに跳ねあがる。今日でも、支那の古い方面では、何事も面態、めんずといふさうだ。面態《めんず》さへたてば、どうでもいいといふの
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