、したたかものの人柄をも加味し、轉じては、當今でいへば野心家、かなり金錢慾も名譽慾も覇氣もあつて、より多く政治的でなければあてはまらない。
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 だが、わたしがさういふと、あなたはその血をひいてゐるところがある。江戸ツ子の末だからといはれる。それは意味ありげで、意味のない言葉だ。江戸ツ子がガサツだといふのならうけとれるが、江戸には士、工、商の三階級があつて江戸といふ都會をつくつてゐた。その尤もガサツな職人風《しよくにんふう》なものいひが、どうも江戸ツ子といふ概念をあたへてゐるので、すべての好みが淺薄《せんぱく》に感じられると見える。だが江戸ツ子の負《まけ》じ魂《だましひ》は、全國的のものを代表してゐる。といふのは、もとより、全國的代表移民の都會であるから、そのころの負けじ魂が、利かぬ氣のきつぷ[#「きつぷ」に傍点]になつて殘つてゐるので、すべてが鉋《かんな》ツ屑《くづ》のやうなものばかりではない。もすこしいつて見れば、それどころかあんまり頭が早くつて、冴えて冷たくさへなつてゐたのだ。で、無論、眞の江戸氣質などは、滅《ほろ》びたのだ。殘骸はなにでも厭なもので、わたくしなど
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